私の「#準備学」

 大学4年生。1年間休学し、そのうち半年をベトナムで過ごした。

 日本へ留学予定の学生たちに、「あいうえお」から日本語を教える。「先生」と呼ばれる半年間だ。
 ちなみに、私の名前は発音が難しいこともあって、「先生」のほうが呼びやすい。日本語教師として本当に「先生」と呼ばれていたのが半分、より言いやすいニックネームとして呼ばれていたのが半分、だろうか。

 日本語を教えるのは、難しかった。
 日本語学校の授業では、日本語だけを使用する。つまり、現地の言葉や英語は使わず、日本語がまだわからない人に、日本語で日本語を伝えるのだ。
 これには理由がある。日本の日本語学校にはいろんな国から学生が集まっている。だから共通言語は「日本語」になるわけだ。

 それにしても、難しい。身振り手振り、イラスト……どうやって説明すればわかるのだろう? そもそも、考えれば考えるほど、日本人の私が「感覚」で使っていて、日本語を理解していないのではないかと思えてくる。
 渡航前に、日本語教師の勉強をしている友人に話を聞いたり、日本語学校の方に教えていただいたりしたけれど、正解なんて見えてこない。

 そこで参考にしたのが、中学・高校の海外英語研修で受けた現地のランゲージスクールの授業。そして、中学のESSクラブの活動だった。

 単語を覚えるのに、ゲームを豊富に取り入れた。クロスワードパズルを作るのがこんなに難しいとは、知らなかった。

 学生と日本語での交換日記も行った。
 日記は、コミュニケーションを取る楽しさを感じて欲しかったから、どうしても日本語で伝えきれないときは英語もOKにした。英語で書かれたときは、お返事を書く際に、その部分を日本語にした文章も添えた。

 まだ使える文法が限られる学生相手に日本語だけでやり取りするのは、独特の視点が必要だった。日常の日本語よりも、「やさしい日本語」という別の言語を使うというイメージを持ったほうが、近いかもしれない。
 その「やさしい日本語」も、自分が英語を学び始めたばかりの頃、いかに伝えたいことを細かく分解し、単純にし、知っている単語と文法に言い換えるかをしていたことを思い出した。そして、それと同じことを日本語でやればいいだけだと、気がついた。

 古舘伊知郎さんの『伝えるための準備学』を編集し、何度も読み返す中で、日本語の授業をしていた頃の私にとって、中学や高校での経験は学問・知識以上の「沈澱物」であり、そして授業の「準備」になっていたのだなぁ、と改めて感じた。
 中学・高校時代は、毎日の授業やクラブ活動が、成績や英語力以外のことへの準備になるなんて、思いもしなかったけれど。

 もちろん、過去の沈澱物だけではない。
 毎日、どのように次の授業を進めるかノートを準備する。授業の休憩時間には次の確認をしたり、その日の授業で気になった箇所を振り返ったりする。
 そして、一回一回の授業が本番でありながら、そこで感じたことを次の授業や別のクラスに反映していく。
 まさに「準備が本番、本番が準備」の日々だった。

 そうして、毎日が本番だったこの半年間は、そのまま(そのつもりはなかったけれど)就活への準備にもなっていた。本気で向き合った濃密な半年だったから、ESに書く経験を全てベトナムで日本語を教えていた半年間の話題で具体的に語れたのだ。経験を積んで、ちょっとだけ自信がついていたのも助けになっていたと思う。
 ……とはいえ、筆記や面接はうまくいかず、順風満帆な就活とはいえなかったのだけど……それはまた、別の話。あえて準備学につなげるなら、準備が偏っていた・誤った準備だけしていたということだろう。

「そうか、あの日々は、準備が本番で本番が準備、過去の沈澱物が大活躍した日々だったんだ」

『伝えるための準備学』について語っているうちに、ふとベトナムの日々を思い出し、Facebookの写真アルバムを見返した。頬が綻んだ。ちょっぴり、泣きそうになった。

 この本には、新たな発見と学びになることが、たくさん書いてある。
 同時に、過去の自分もそうだったんだと肯定され、包まれるところも、きっと誰もにあると思う。

 ちゃんと自分は、歩んできたんだ、って。

 コスパ・タイパ度外視の厳しい準備学。だけど、そんな優しさで救いにもなる一冊。私は、そう感じている。

古舘伊知郎『伝えるための準備学』
https://amazon.co.jp/dp/4809420000/

地方で出張授業をした際の写真。浴衣の着付けも、中学の体育大会で毎年、八木節と河内音頭を踊るのに浴衣を着ていたので、着崩れも少なく楽々できた。体育大会が、海外での交流へ向けた「準備」になるとは。
学生が撮影していた休憩中の私の様子。次の授業の確認をしている(はず)。
文化のアクティビティとして、折り紙の時間も設けた。学生たちは驚くほどの集中力を見せ、大好評。小学校で数えきれないほど折り鶴を折っていたので、すぐに折り方を思いだすことができた。

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